大学生みたいな服だなと兄に言われた。服なんかに大金かけてられるか馬鹿野郎。物事には優先順位ってもんがあるだろうが。大体服にこだわる奴はださい。服を身にまとう自分への執着が滲むから。それが目に付くとみっともない。あさましい。

 

だが思うに服は気分や思考、行動選択に影響している。正装すると自ずと気分も引き締まるというもの。服を選ぶときには、たぶんこんな風でありたいとか、こんな気分で過ごしたいという思いをそこに投影している。思い切って言えば、服は人を表している。逆に、服に着られるという表現があるが、これは服が象徴するイメージと着ている本人の自己イメージとの乖離のために、振る舞いがぎこちなく上滑りしてしまうことを指しているように思う。もっとこういう恰好をしたら良いのに、と他人に指摘したくなることは多くの人が経験すると思われるが、その恰好と相手が自分自身に対して抱いているイメージ、または相手のかくありたいと想像しているイメージが折り合えない限り、説得は望み薄というものだ。

 

とすると、大学生の恰好をしているという自分は、未だ大学生の気分から抜け出せていない、もしくは過ぎ去った大学時代に憧憬を抱きつつそういう恰好をし続けている、ということができるかもしれない。

 

いや出不精アンド金無しがでかいわどう考えても。入間のアウトレット行こーっ